宮津文化の“粋”を現代に伝える「宮津おどり」
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宮津文化の“粋”を現代に伝える「宮津おどり」

宮津市広報

宮津で盆踊りといえばかかせない、宮津市民にとって馴染み深い「宮津おどり」。実はこのおどりは、3つの曲が組み合って成り立っているということをご存じでしたか?今回は宮津市民に愛されている「宮津おどり」について、誕生秘話や知られざるエピソードをご紹介していきます。

「宮津おどり」は3つの曲が組み合った郷土芸能

夏になると、宮津市内のスーパーやお土産屋の店内で流れる“丹後の宮津でピンと出した”のフレーズ。あの曲が聞こえてくると思わず口ずさんでしまう方も多いのではないでしょうか。
「宮津おどり」は、お盆に開催される「宮津燈籠流し花火大会」や、「市民総おどり大会」などで踊られ、市民にとっては夏の情景のひとつ。ふるさとを曲と踊りで色濃く感じられる郷土芸能です。

「宮津おどり」の曲をよく聞いてみると、途中で曲調が2度、変わることに気が付きませんか。実は「宮津おどり」は「宮津節」、「宮津盆おどり松坂(以下、松坂)」、「あいやえおどり」という3つの曲が組み合っているのです。
それぞれどのような曲なのか、なぜこれらが組み合ったのか、ご紹介していきましょう。

歌詞は10番以上!明るい曲調の「宮津節」

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最初に流れるのは“丹後の宮津でピンと出した”でおなじみ、ウキウキとした曲調の「宮津節」です。
三味線、太鼓、カネ(=金属製の打楽器)、歌からなるこの曲は、江戸時代末期に北前船の船乗りや各地から訪れる商人などで賑わった新浜の花街で親しまれたお座敷歌であり、踊りでした。
この踊りは手振りも美しいのですが、特徴は足。片足を一度、軽く付いてからもう一度、付きなおす。つまり二度踏みをする振りが多くあります。ここが少し難しく、そして格好いいところでもあります。

宮津の花街の賑わいを知る記事はこちらから▼

歌詞は10番以上もあり、1番の歌詞“二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空になる”は、花街で遊びすぎて財布が空になってしまったとグチを歌っているもの。そのくらい宮津は魅力あふれる町だったということですね。
はやし言葉の「ピンと出した」という意味については諸説あり、「ピンからキリまで」という博打言葉、また女性を賛えた別嬪べっぴんという言葉、三味線のピンッという音からとられたとも言われています。
普段は全ての歌詞を歌うことはほぼなく、よく歌われるのはこちらの歌詞です。

二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空になる
 <丹後の宮津でピンと出した>
天橋立あまのはしだて日本一よ 文殊菩薩に智恵の餅
 <丹後の宮津でピンと出した>
いこか戻ろか橋立なぎさ いとし宮津の灯が招く
 <丹後の宮津でピンと出した>
月が出ました黒崎沖に 金波銀波の与謝の海
 <丹後の宮津でピンと出した>
丹後ちりめん加賀の絹 仙台平には南部縞 陸奥の米沢 江戸 小倉
 <丹後の宮津でピンと出した>

何番も歌ったり、繰り返したりしても「丹後ちりめん加賀の絹……」が始まると、これでラストという決まりです。

しっとりとした魅惑の曲調が風情を誘う「宮津盆おどり松坂」

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「宮津節」の軽快なリズムから一転、哀愁を帯びたしっとりとした曲調に変わると「松坂」です。かつては三味線、太鼓、歌に加えて、胡弓こきゅうと笛も入っていたそうですが、現在は胡弓と笛を演奏される方がいないので入っていません。
この曲の誕生については諸説あり、江戸時代に三重県伊勢から全国に広まった「伊勢踊り(伊勢音頭)」に由来するとも、また宝暦8年(1758)に本庄松平氏が宮津藩の藩主として浜松から入って来た際に武士に習わせた踊りが城下に伝わったものともいわれています。腰をぐっと落して足を開いたり、手をグッと握るなど、どこか武士らしくて力強い振りが付いています。

「松坂」の歌詞は、以下の通り。

天橋立日本一よ 宮津おどりは国自慢
あらし吹き出す京街道 いろを染め出す紺屋町 
くるかくるかと浜見れば 浜の松風音ばかり
天橋立あおあおと 松はみどりの一文字

九州由来の陽気で賑やかな「あいやえおどり」

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しっとりとした雰囲気から一転、「ヨイ、ヨイ、ヨイ!」という勢いよい掛け声と共に三味線、太鼓、鉦による賑やかなリズムが始まると「あいやえおどり」です。こちらは九州の熊本県天草牛深で発祥した「ハイヤ節」が、北前舩の船乗りたちにより全国に伝わったもののひとつ。
跳ねるように踊り、輪の中央に集まったり広がったり、見ているだけでワクワクとした楽しい気分になります。

「あいやえおどり」の歌詞は、以下の通り。

あいやえ あいや 可愛いや 今朝出た船は どこの港へ ソーレ 着いたやら
あいやえ 船が入れば 灯しが揺れる 恋し宮津のあかしが揺れる

……というもの。ちなみに牛深の「ハイヤ節」の歌詞は、
ハイヤエー ハイヤ ハイヤで今朝出した船はエー 何処の港にサーマ入れたやらエー
というもの。
どことなく似ているような気がしますね。

「宮津おどり」の誕生秘話

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この曲調が違う3曲が、なぜ組み合って「宮津おどり」となったのでしょう。
そのはじまりについて、宮津おどりを後世に伝える活動をされている「宮津おどり振興会」の2代目副会長 神田由里子さんにお伺いしました。

「実は、宮津おどりができたのは、私の師匠で初代副会長の頃なのです。昭和31年に愛知県豊橋市で行われた『豊橋まつり』の出演依頼を受けたのがきっかけだったと思います。ステージでは1グループの持ち時間が決められてるのですが、『宮津節』や『松坂』『あいやえおどり』のどれか1つだけでは曲が短いため、時間が余ってしまいます。それならば3曲を合わせ、新しい構成の曲を作ったらどうだろうと、当時、新浜で一番上の芸妓さんに相談し、『宮津おどり』が誕生しました」

受け継がれてきた宮津の文化を後世に伝えたい

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こうして誕生した「宮津おどり」は、曲調の違う3曲を絶妙につなげた構成が素晴らしいと、有名な民謡研究家の町田佳聲かしょう※先生からも褒められたそうです。
3曲とも調子が異なるということは、曲の変わり目のほんの数秒で三味線は調子(ギターなどでいうところのコード)を、歌い手は喉を整えなくてはいけません。
これは相当な技術を要するもので、そのため現在は踊り手だけでなく、地方じかた(=伴奏者)を募集して育成したり、楽器の体験会や養成講座も開いて技術の継承を行っています。

※町田佳聲:全国の民謡採集・研究に従事し、紫綬褒章や勲三等瑞宝章、吉川英治文化賞などさまざまな賞を受賞した高名な音楽評論家。

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神田さんが、よく先輩たちから聞いた話としてこのような話を教えてくれました。
昔は各町に必ず1人、言葉では言い表せないほど素晴らしい松阪を踊るおばあさんがいたそうです。そのような方が盆踊りに来られると、地方さんたちも「あのおばあちゃんが踊りに来たから、もう一度“松坂”を弾いたげよ」と、おばあさんが得意とする“松坂”を演奏されたそうです。

「おばあさんらが踊る時の“得も言われぬ雰囲気”というのは、この町で生まれ育ったからこそ滲み出るもの。町の踊りというのは、そういうものだと思うのです。ですから宮津の町から後継者を育てたいですし、そのためにもずっと住みたいと思えるような町であって欲しいですね」

宮津の伝統文化の粋が詰まった「宮津おどり」は平成30年3月宮津市無形民俗文化財に指定されました。また、日本遺産の『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』の構成要素の一つとして認定されています。
宮津で脈々と受け継がれ、人の手が加わり新たな構成として現代に伝わる「宮津おどり」を、皆さんもぜひ一緒に踊ってみませんか?

[宮津おどり振興会]踊り手・地方に興味がある方はこちらまで▼


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