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宮津にある「元伊勢」!?神秘の神社を大解剖〜籠神社〜

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お正月や葵祭、七五三、大晦日と季節や行事ごとにお参りに行く、宮津市民にとってなじみの深い籠神社(このじんじゃ)。
籠神社は「元伊勢」とも呼ばれていますが、これは何故だかご存じですか?そして籠神社の「籠」とは? また、籠神社を代々お守りしている海部(あまべ)家はなんと83代も続く家柄だそうで、一体どんなお家なのでしょう……。
今回は、謎に包まれた神秘の神社・籠神社を紐解いていきます。

神話の時代から宮津に佇む伊勢神宮のふるさと

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籠神社(このじんじゃ)の正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」。これは、三重県にある伊勢神宮の元、という意味です。
そもそも籠神社が立つ府中エリアは、奈良時代から平安時代にかけては国府(地方行政府)が、中世には守護所が置かれ、政治的にも大変意味のある土地でした。
ゆえに籠神社は日本の歴史の中でも重要な神社だと言われています。

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今回、籠神社の権禰宜・梅本貴久さんをお尋ねし、神社の歴史についてお話を伺いました。話のはじまりは、なんと神様が住む時代までさかのぼります。

籠神社の奥――現在、パワースポットとしても有名な眞名井神社(写真)がある眞名井原に豊受大神(とようけのおおかみ)をお祀りする匏宮(よさのみや)がありました。ある時、宮中に祀られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)が新しい居住地を探して全国を旅します。一度は倭国に落ち着きましたが、豊受大神がおられる縁からこの地に遷り、豊受大神と共に吉佐宮(よさのみや)という宮号で4年間暮らしました。

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その後、天照大神は現在の三重県伊勢市にある伊勢神宮(内宮)に遷られ、約450年後、豊受大神は天照大神に呼ばれ伊勢神宮(外宮)へ遷られました。それゆえ籠神社は伊勢神宮の元という意味で、「元伊勢」と呼ばれるようになったのです。
ところで天照大神は日本全国を旅したので、全国に天照大神が住まわれたという「元伊勢」がありますが、天照大神と豊受大神が一緒に住まわれたのは、ここ宮津市の籠神社だけなのです。

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ちなみに匏宮と吉佐宮、両方についている「よさ」という名前。どこかで聞き覚えはありませんでしょうか。そう、与謝郡や与謝の海(阿蘇海)の「よさ」。今も古代から続く「よさ」という音が宮津に受け継がれています。

83代も続く宮司・海部家の祖先が乗った籠船

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さて、両神が伊勢に引越しされてから吉佐宮は籠神社と名前を変え、この地を治めていた彦火明命(ひこほあかりのみこと)を主神に、天照大神と豊受大神らを相神として、719年に現在の地に移りました。

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実は彦火明命(ひこほあかりのみこと)は、天照大神の孫にあたるお方。天照大神から「邊津鏡(へつかがみ)」と「息津鏡(おきつかがみ)」という2つの鏡を授けられ、籠神社の海の奥宮である冠島に降臨し、眞名井原に豊受大神を祀りました。
「籠神社」という名の由来は、この彦火明命が竹で編んだ籠船に乗り、海神の宮(龍宮、常世とも)に行かれたとの故事によるものといわれています。
そして驚くべきことに代々、宮司を務めている海部(あまべ)家はなんと彦火明命から数えて83代目の子孫なのです!

神から授けられた鏡と国宝である日本最古の家系図

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「邊津鏡」と「息津鏡」

写真の鏡は彦火明命が天照大神から授けられたという「邊津鏡」と「息津鏡」。今も海部家に大切に伝わっています。昭和62年の調査で「邊津鏡」は中国の前漢時代、「息津鏡」は後漢時代のものであることが判明した時は、大ニュースになりました。

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海部家の当主は83代目といいましたが、その家系図「籠名神社祝部海部直氏系図」(写真)が今も海部家に伝わっていることからわかります。
この家系図は平安時代初期に書き写されたもので、「丹後國印」が押されていることから海部氏が私的に作成したものではなく、作成後に丹後國庁に提出して認知を受けたもの。さらに大和朝廷に差し出した公式のものの副本(控え)であり、現存する日本最古の系図として国宝に指定されています。そのような歴史的に非常に価値のあるものが宮津に残っているのですね。
しかも神代の時代から数えて海部家の当主が83代目ということは各代の方がとても長生きをされたということ。いかに宮津の地が穏やかで過ごしやすく、戦のない地だったということが分かります。

伊勢神宮と籠神社だけ!貴重な建築と座玉

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伊勢神宮の内宮正殿は唯一神明造と称され、同じものを作ことは許されていません。その中で籠神社の社殿は、最も伊勢神宮内宮の正殿に最も近いといわれています。また、江戸時代末期までは遷宮(せんぐう)も行われていたそうで、現在の建物はその江戸末期のもの。
昭和6年(1931)に本殿下を調査したところ、鎌倉時代から今と同じ大きさだったことが分かっています。ここまで規模・様式ともに伊勢神宮の内宮正殿に近似しているものはなく、いかに伊勢神宮と深い繋がりがあったかを物語っています。

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もう一つ、伊勢神宮内宮と似ている大きな特徴は、高欄に青、黄、赤、白、黒の「五色の座玉(すえたま)」が拝されていること。この玉を配しているのは伊勢神宮の正殿と籠神社しかないそうで、神社建築史上とても貴重なものとされています。

通行人を驚かせた!魔除けの狛犬

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神門前に鎮座する狛犬は鎌倉時代の名作として重要文化財に指定されています。
その昔、狛犬に作者の魂が籠もり、天橋立に出ては暴れ、通行人を驚かせていたそうです。父の仇討ちのために当地を訪れていた岩見重太郎(※)がその話を聞いて待ち伏せし、狛犬の脚に一太刀浴びせたところ、社頭に戻り、魔除けの狛犬として霊験あらたかになったのだとか。その刀傷が阿形の狛犬の右前脚に残っているそうなので、ぜひ探してみてくださいね。

※岩見重太郎 
安土桃山時代から江戸前期にかけて活躍した剣豪。諸国を漫遊しながら各地で狒々(ヒヒ)や大蛇を退治し、父の仇を宮津の天橋立で討ったといわれています。

籠神社でいただける特別なご利益

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籠神社では、お守りやお札など様々なご利益品がいただけます。中でも貴重なのが、新月と満月の日にだけ授与される産霊守(むすひまもり)。
新月の日には黒色、満月の日には白色のお守りがいただけます。

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また五色の座玉守(上)、天橋立の四季を刺繍した天願守(下)も、ここにしかないお守りですので、ぜひ籠神社ならではのご利益をいただいてくださいね。

知られざる籠神社のお話、あなたはどこまでご存知でしたか?
ぜひ、籠神社を訪れた際には、悠久の歴史に思いを馳せながら参拝してくださいね。

<データ>
丹後一宮 元伊勢 籠神社
宮津市字大垣430
TEL:0772-27-0006
ホームページ https://www.motoise.jp/