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【宮津祭】神様を町へお迎えする―山王宮日吉神社の「山王祭」

宮津市広報
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5月15日。宮津では西堀川を境界として西地区の「山王宮日吉神社」と、東地区の「和貴宮神社」の祭礼が同時進行で行われます。もともとは、山王宮日吉神社が春に行っていた「山王祭」と、和貴宮神社が秋に行っていた「東祭」が、今では同じ日に行われるようになり、合わせて「宮津祭」と呼ばれています。両地区にはそれぞれの氏神様がいて、宮津の平安を祈り、祭礼が執り行われます。

山王宮日吉神社の「山王祭」は江戸時代には「国祭」「藩祭」とも呼ばれ、城下をあげての大祭として、町衆だけでなく藩の武士までもが参加していたといいます。この頃から「宮津祭」とも呼ばれていた「山王祭」とは、どのようなお祭りなのでしょうか?

「山王祭」が行われる山王宮日吉神社とは?

日吉神社

「山王祭」が行われる山王宮日吉神社は宮津総氏神、宮津藩の守護神として平安時代から続く神社です。祭神は大山咋神おおやまくいのかみ大己貴神おおなむちのかみ
大山咋神はその名前が「大山に杭(咋)を打つ」イメージから山の所有を表すとされ、京都の比叡山(鬼門)の守護を担ったことから鎮護の守護神と崇められており、大己貴神は大国主の若い頃の名前で日本国を作った神様です。
社記によればこの2柱の神様を平安後期に「杉末神社」の境内に勧請されたといわれています。

杉末神社

「杉末神社」とは本殿の右隣にある摂社で、572年(古墳時代)に創建されたといわれています。
平安時代初期の延喜年間に醍醐天皇の命により編纂された「延喜式神名帳」に宮津で唯一登載されていることから、宮津最古の神社として崇敬されており、宮津の地名【宮(=神社)のある津(=船着場)】の由来になったと伝わっています。

★“和貴宮神社の「春季例大祭」”についてはこちらをチェック!


殿様からの寄進! その重さ1トンの神輿を観察

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山王祭で担がれる神輿は江戸時代末期の元治元年(1864)に藩主・本庄宗秀によって寄進されました。神輿のてっぺんにのせられる大鳥には完成前年の文久3年(1863)の制作と刻まれており、屋根には本庄家の家紋である九つ目の家紋が配されています。

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神輿の四面にはそれぞれ扉と鳥居が建てられており、鳥居は神様の聖域と人間世界との境界を示すものです。前後の鳥居には宮津藩主が書いた「日吉神」の額がかけられています。
そして神輿をよく見るとたくさんの猿の彫刻が! その数20以上!!

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この猿は「真猿マサル」といわれ、日吉の神様にお仕えする猿です。「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起の良いお猿さんとしても知られています。四方の屋根の下にも二匹の桃を持つ真猿が配されています。

かつては城下をあげての大祭礼! 神輿を掲げて9時間12キロの巡幸へ

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神様を町へお迎えする準備は5月13日から始まりますが、やはり町全体が盛り上がるのは本祭の5月15日。かつて、山王祭は4月の二の申の日に執り行われていましたが、安政4年(1857)には4月15日に固定され、その後、現在の5月15日に執り行われることになりました。

現在の祭礼は、神輿の巡幸を中心とし、神楽、威儀物行列、浮太鼓で構成されていますが、江戸時代には山屋台や芸屋台も出されており、その様子は市の文化財でもある「山王社祭礼図絵馬」に描かれています。神輿が殿様からの寄進ということからも伺えるように、山王祭は身分関係なく宮津市民が楽しんだ、城下をあげての大祭礼でした。

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本祭の当日、神様を町にお迎えするにあたり、様々な儀式が執り行われています。まずは、手と口をすすぎ心身を清める「手水の儀」から始まり、拝殿に入る前に境内の祓戸はらえどでお祓いをする「修祓しゅばつの儀」、国の平安を祈る「浦安の舞」、獅子によるお清めとお祓いの「太神楽奉納」と続き、宮津市の無形文化財にも指定されている漁師町の浮太鼓が宮司家で披露され、その後、神様が神輿に遷られる「神幸祭」のために神殿南側に進みます。

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神幸祭では、神輿の周りに担ぎ手たちが片膝をつき、神様のお姿を見ないように顔を伏せて待ちます。宮司と神官が神様を迎えに行き、御霊が神輿に遷る間、浮太鼓は早打ちを続け、神輿の担ぎ手たちは、神様に対し人々が不敬な行為をしないよう、警蹕けいひつと呼ばれる「オォー」という声を立てて警戒を促しながら、神様を迎える柏手を打ち続けます。

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そして神様が神輿に遷られたら、いよいよ12キロの渡御とぎょが始まります。まずは一直線に海へ向かい、豊かな恵みに感謝の祈りを捧げます。

神様と町へ。宮津の平安を祈り、そして還御の儀。

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「ヨオッサァ」の掛け声とともに神輿巡幸は町に向かいます。総勢200人近くの巡幸。まずは「神楽」が一足先に町を巡り、神輿の訪れる場所を浄めて回ります。その後、「とっけつ・修験」が法螺貝で神輿が来たことを知らせ、続く「威儀物行列いぎのものぎょうれつ」が、神輿や儀式の威厳を示し、総勢80人の「神輿組」が神様をお連れします。

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神輿の後ろは神様を守るために「宮司」が歩き、宮津の平安を祈願します。その後ろに続く「舞姫」は“浦安の舞”を宮津市役所で行われる神事で舞い、浮太鼓は威勢の良い音を鳴り響かせ、祭を盛り上げながら神輿巡幸は町々の祈りの場を回ります。

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約12キロの巡幸を終え、神輿が神社の麓に帰ると、山王祭の山場に差し掛かります。神輿は神社の下の通りを全力疾走で何度も行ったり来たりをする「練り込み」を繰り返した後、神社に運ばれ宮入りをします。担ぎ手たちの掛け声が響く中、神輿が下されると神域の明かりは一斉に消え、浄闇に包まれ、担ぎ手たちの警蹕けいひつと浮太鼓の早打ち、柏手が響く中、神様は本殿に戻られ、3日間におよぶ山王祭は終了します。

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「山王祭」の歴史は長く、150年も前に造られた神輿は今も美しく祭りを盛り上げてくれます。しかし、過去に漁師町が神輿をお宮に返し、17年間ほど祭から神輿の姿が消えた時期がありました。神輿を担ぐには技術も人も必要で、それを受け継ぐことは容易なことではなかったからです。祭りの伝統は変わらずとも、時代の流れとともに変化するものは多く、その中で機能的で安全な巡幸を目指し、途絶えた伝統を復活させ、今に繋げてきた人たちがいます。

山王宮日吉神社の「山王祭」とは、宮津の先人たちが繋いできた伝統を守り、繋げていくこと。それは神様と人を繋げ、人と人とを繋げていく、感動に満ちた祭りといえるのではないでしょうか。

<データ>
山王宮日吉神社
宮津市宮町1408
TEL:0772-22-3356
https://www.sannougu.jp

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