【天橋立#5】その松、名前で呼んであげて!! 天橋立の「命名松」
日本三景のひとつ「天橋立」。奇跡の絶景として古代より人々の心を魅了し続けてきた“謎多き天橋立”の魅力を連載記事で紐解きます。さて、第5回は天橋立を美しい緑で彩る「松」のお話。天橋立には名前がついている松があるってご存知でしたか? 今回はそんな松たちをご紹介いたします。
まずは松をのコトを知ろう!
なぜ海岸に松が多いかご存知ですか? 松は陽樹といって、成長のために最低限必要な光合成量が比較的多いタイプの樹木で、太陽の光を好みます。乾燥した水分の少ない土地でも育つことができるので、海岸や山の尾根など、水分や栄養が少なく、他の植物が生きられないような厳しい環境にも耐えて成長する強者なのです!
また、海岸の松林は昔から防風林、防砂林、防潮林としての役割をもっており、人の生活と密接に関係しながら維持されてきました。
天橋立も「白砂青松」という形で何千年も前からこの地に根を生やし、今では6,700本の松と白い砂が美しい景色を保っています。
その中には変わった形をした松や、いわれのある松などがいくつかあり、それらを命名松といって、松の側には名前と由来が記されたサインが設置されています。
約3.2キロメートルの天橋立には満遍なく命名松が点在
天橋立の命名松は端から端までの間に、いくつか点在しています。ゆっくりと探しながら歩くのも楽しみのひとつです。
三人寄れば文殊の智恵「智恵の松」
こちらの松は、一本の松が三又に分かれていることから、ことわざ「三人寄れば文殊の智恵」にちなみ「智恵の松」と命名されています。文殊の智恵といえば智恩寺さん! なんとこの「智恵の松」は天橋立の中でも、智恩寺から近い位置に生息しているのです。偶然、智恩寺に近い場所に「三人よれば〜」を連想させる松があるなんてすごい偶然だと思いませんか?
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ほっそりと美しい赤松の姿「式部の松」
ほっそりとした赤松の美しい姿から、和泉式部に例えられた松。和泉式部は平安時代を代表する歌人です。丹後守としてこの地に赴任している夫・藤原保昌に随行してこの地を訪れた式部は、天橋立を舞台とした作品を多く残しています。その一つが
「よさの海の 海士(あま)のしわざと みしものを さもわがやくと 汐たるるかな」
これは天橋立の風物と合わせて、都から離れて暮らす自分の身の上を詠んだ歌です。そんな彼女がこの地で出会ったものの中に、式部の松の近くにある井戸「磯清水」があります。
なんと、この「磯清水」は海に囲まれていながら、真水(塩分を含まない水)なんです!「橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」と式部が詠ったことが伝わっており、昭和60年には「名水百選」にも選ばれています。式部がいた平安時代から湧き出る1000年以上の歴史を持つロマン溢れる「磯清水」。現在は飲んでいただけませんが、お手水としてご利用くださいね。
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千貫の価値がある!「千貫松」
千貫の価値があると言われた名松。地上近くで双幹に分かれており、写真右側の幹は遙か昔に枯死し、残る幹も大枝をもぎ取られた傷が大きく穴をあけています。それでもなお、青々とした芽を伸ばす生命力の強さには貫禄があり、まさに千貫の価値ある名松と言えるでしょう。1726年の「丹後国天橋立之図」に載っていることから想い起こすと500年は生きたことになります。千貫とはとてつもなく価値のある、という意味。この地の人々の営みをずっと見守ってきた生き証人「千貫松」を見上げ500年の歴史に思いを馳せるのも良いかもしれませんね。
羽衣天女の伝説を連想させる「羽衣の松」
羽衣伝説は世界各地に存在する伝説のひとつ。美しい天女が水浴びをしている姿に心奪われた男が、天女を天に帰すまいと羽衣を隠してしまう伝説…。じっくりみてみると四方に広がる松の枝は、まるで天女の羽衣が風に揺れているような優美さを感じますね。
船越は地名!「船越の松」
天橋立、傘松側の端っこ。どど〜んと大きく道側に伸びている松が「船越の松」です。他の松よりも頭一つ抜きん出た存在感と貫禄! 昔からこの地を「船越」と称していることからその名が付けられました。潮が満ちるとこの辺りは水に浸かり、船がこの地を越せたので「船越」と呼ばれたそうですよ。
天橋立の命名松。名前の由来には納得できましたか? 全部紹介してしまうと探す楽しみが減ってしまうのでご紹介はここらへんにしまして、天橋立の景色と一緒に「命名松」探しのワクワクを楽しんでみてください。