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宮津の色鮮やかなお地蔵さま 〜地蔵盆と化粧地蔵〜

宮津のまちを歩いていると、あちこちでお地蔵さまに出会います。お地蔵さまといえば静かに佇む石像のイメージがありますが、宮津を始め丹後・若狭地方では「化粧地蔵」といわれる極彩色のお地蔵さまが多く、そのお姿はいずれも個性豊か。地蔵盆を境に化粧直しが行われ、毎年いろいろな表情を見せてくれます。今回はそんな宮津の地蔵盆と化粧地蔵について注目してみました。

地蔵盆ってどんなお祭り?

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地蔵盆とは、お盆に近い地蔵菩薩の縁日前日(8月23日)頃に、近畿地方を中心に行われている子どもたちが主役の行事です。
宮津市街地では隣組といわれる組単位(10軒程度が多いが、少ない所で3軒程度、多い所では20数軒程)でお地蔵さまが祀られており、毎年8月23日が近付くとお地蔵さまは地蔵盆の準備のために祠から姿を消し始めます。
地蔵盆の様子は隣組によって様々です。漁師町の様子を伺ってみると、まずは8月に入り隣組長とその年の当番(漁師町では女性が担当)が集まって地蔵盆の流れや役割が決められます。お盆が過ぎると、すぐに当番と子ども達によってお地蔵さんの化粧落としが行われます。昨年の化粧を綺麗に落としたお地蔵さまは1~2日程かけて乾かされた後、子ども達の手によって新たな化粧が施されます。漁師町では一番年長の子どもが「目」を最後に筆入れして、その年のお化粧が完成となります。

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地蔵盆前日の夕方には、当番と隣組の男性陣が集まり、お地蔵さまの祭壇の組み立てや飾り付けが行われます。
宮津では「祭り宿」といって、地蔵盆の当日にお地蔵さまが祀られる「宿」を提供する役割があります。漁師町では、隣組の中であらかじめ宿当番の持ち回りの順番が決められています。初盆の家がある場合はその家が宿を担当することもあるそうです。

子ども達

地蔵盆当日は朝からお団子やお花などのお供え物のほか、お膳やお菓子が用意されます。お膳は葉の付いた“ずいき”、さつま芋、ピーマン、ナスに金銀の水引を付けてお供えするのが昔からのしきたり。このように祀られたお地蔵さまの前に集まって、子どもたちはゲームをしたり、お菓子をたくさんもらって楽しく一日を過ごすそうです。近年では子どもの数が減り、集まって遊ぶことも少なくなったようですが、大人達が昔を思い出しながら集まり、今も地蔵盆の伝統が繋がれています。

夕方になると隣組の女性たちが集まり、地蔵盆の締めくくりである御詠歌(西国三十三所観音霊場)が1~1.5時間程あげられます。この日はそれぞれの隣組で地蔵盆が行われているため、御詠歌の鐘の音があちこちから聞こえてくるそうです。子ども達にとっては楽しい時間が終わる、ちょっとさみしい響きかもしれませんね。
そうして地蔵盆が終わるとお地蔵さまはもとの祠にお戻りになります。

宮津に根付く「化粧地蔵」とは?

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宮津の化粧地蔵は江戸時代中頃から伝わる習俗とされています。なぜお地蔵さまに化粧をする習慣ができたのかは定かではありません。地中から出た古い時代の石仏や墓石などに、目鼻がわかるように塗って祈りの対象とした、など諸説あるようです。

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子ども達の手によって塗り替えられる化粧地蔵は、全身だけでなく、後光までも極彩色に近い色で塗られているのが特徴。昔は布海苔(ふのり)と胡粉(ごふん)を混ぜたものを全身に真っ白く塗ってから色を付けていたそうですが、近年では絵の具などを使って塗られています。子供の数が減り、毎年化粧をできなくなった隣組は、看板屋さんにお願いして色褪せにくい塗料を使って化粧を施してもらうこともあるそうです。ちなみに、化粧をされないお地蔵さまの中には、「このお地蔵は男性なので」と伝わっているものもあるとか。

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隣組では花や水、線香を供える「地蔵当番」があり、代々お地蔵さまのお世話をしているところがたくさんあります。そのため自分の組のお地蔵さまは「“うちの”お地蔵さん」といった身近で特別な存在だそうです。

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しかし、隣組によっては住民の減少に伴い、お地蔵さまのお世話ができなくなってしまうところもあるそうです。その場合は個人で預かったり、合祀(ごうし:ひとつの祠に合わせて祀る)やお寺に預けるなどして、それぞれができる方法でお祀りされています。

こんなに変わるよ!お地蔵様ビフォーアフター

年によってお化粧がかわるお地蔵さま。せっかくならどのように変わっているのか見比べてみたくありませんか? 漁師町、万町、宮本町のお地蔵さまの変化を並べてみました。

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漁師町:デザインを大きく変えるというよりは、配色に変化を持たせて彩られるお地蔵さま。

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万町:2015年は子どもの塗り手がおらず、大人が塗っていたようです。小さい子が育ち、だんだん子どもの手が加わることで、お地蔵さまにも“子どもらしさ”がでてきて可愛らしい様子に。

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宮本町:こちらの地蔵は大人達が化粧をしているそうです。毎年塗り手が代わるので、背景や衣装に個性が出ていて面白いですね。特に2019年は女性的で色っぽいのが印象的。

化粧地蔵に会いに行こう

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個性派が多い宮津の化粧地蔵。その中でも特徴的な2体をご紹介いたします。

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柿ヶ成「イボ地蔵」:室町時代中期に造られたお地蔵さまで、昔、村人が“イボ”が取れないかと板碑(いたび:板状に加工した石の供養塔)を藁で縛り、祈願するとイボが取れたと伝えられています。宮津市に存在する中で「最大級」の地蔵菩薩。

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智恩寺のお地蔵さま:黒々とした髪に色違いの着物を纏い、凛とした姿で並ぶ6体のお地蔵さま。その美しい姿に気品すら感じる「あねさま風」化粧地蔵。

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こちらに紹介している地蔵は、もうすでに新たな化粧によりお姿を変えられている化粧地蔵も含まれています。今年お見かけしたお地蔵さまは、今年だけのお姿かもしれません。
こんなに素敵なお地蔵さまなのに、実は「宮津の化粧地蔵」の情報がまとめられたものはほんのわずか。2020年に刊行された「宮津のお地蔵さん たたずみ 坐り 微笑んで」(著:大城戸ハルミ=写真の一部を提供)では、近年の宮津のお地蔵さまを集めた写真と地図が付いているので、化粧地蔵に興味が湧いた方はこれを片手に巡ってみるのも楽しそうですね。宮津市図書館などにも置いてあるので、気になる方は探してみてください。
また、インターネットでも「宮津のお地蔵さんマップ」と検索すると祠の位置を示したグーグルマップを見ることができるので、デジタル派の方はこちらもチェックしてみてください。

化粧地蔵と宮津の暮らし

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宮津に住む大人達は、気付けば生活の中に化粧地蔵はいたといいます。古くから地域に存在し、子どもの頃には化粧をすることでお地蔵さまに愛着が湧き、大人になると当たり前のように持ち回りでお世話をするようになります。

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宮津のまちの長い歴史の中で、「町の安全」「子どもの無事」を願って代々お地蔵さまがまつられ、現在も大切に残されています。
お地蔵さまは祈りの対象であり、時に近隣同士の交流を育みます。宮津のまちはお地蔵さまとともに暮らしている、といえるのかもしれませんね。

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