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四軒の茶屋が300年守りつづける「智恵の餅」の素朴な味

宮津市広報

ふくふくとした真っ白なお餅に、風味豊かなたっぷりのあん。文珠名物「智恵の餅」は、“三人寄れば文殊の智恵”の文殊菩薩に由来があり、食べれば智恵を授かると言われています。智恵の餅をつくることができるのは、四軒しけん茶屋と呼ばれる四軒のお茶屋さんだけ。ネット販売はおろか、駅の売店でも買うことができない特別な逸品。江戸時代から330年にわたり門前町とともに歩んできた、四軒茶屋と智恵の餅の物語へご案内します。

文殊信仰と智恵の餅

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智恵の餅の起源は古く、こんな言い伝えがあります。

“嘉暦年間の頃、文殊堂の前で餅を売る老婆がおり、いつも子どもたちに餅を食べさせてあげていた。その子どもたちの中に大人を凌ぐほど利口な子がいて、ある日、智恩寺を訪れた大徳寺の高名なお坊さんがその利口さに驚いた。すると老婆はこう話したという。「夢の中で文殊菩薩が教えてくれた餅をつくって食べさせているせいでしょう」。それ以来、この餅を智恵の餅と呼ぶようになった”

嘉暦といえば1326年頃ですから、今からおよそ700年前! 正式な記録はなく真偽のほどはわかりませんが、智恵の餅が智恩寺や文殊信仰との深いつながりの中で大切にされてきたことが伝わりますね。現在も毎年1月に行われる文殊堂十日ゑびすでは、文殊堂が御開帳されるとあって多くの参拝客が訪れ、四軒茶屋も一年で一番の賑わいを見せるのだとか。

四軒茶屋の歩みは門前町の歴史

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四軒茶屋とは、智恩寺山門前に軒を連ねる吉野茶屋、彦兵衛茶屋、勘七茶屋、ちとせ茶屋の総称。その創業は元禄3年(1690)、江戸時代初期と言われています。
「智恩寺さんに仕えていた4人の奉公人が、お寺の許可を得て商売を始めたのが最初だと聞いています。その一人がうちの先祖にあたります」と話してくれたのは、ちとせ茶屋13代目の山崎さん。

今では多くのお店で賑わう智恩寺門前町ですが、江戸時代以前は現在の半分くらいまでは砂浜で、すぐ目の前が海でした。お店や家は一軒もなく、餅を売る屋台が不定期に出る程度だったそう。江戸時代に入ると観光に訪れる人も増え、まずは昼間だけの出茶屋が認められるように。やがて元禄3年に、智恩寺から「門前に店を構え、定住してよい」と正式に許可が出たのが、四軒茶屋のはじまりです。

『丹後吉津村誌』によれば、智恩寺に当時の証書が残っており、四軒茶屋の祖である吉野庄兵衛(吉野茶屋)、松浪庄三郎(彦兵衛茶屋)、幾世平兵衛(勘七茶屋)、山崎庄八(ちとせ茶屋)、それぞれの署名とともに引用されていました。この署名の順番、なんと現在の茶屋の並びと同じ!小さな発見に、確かな歴史の足跡を感じます。

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簡素な腰掛茶屋からはじまった四軒茶屋は、やがて飲食店としてしっかりとした店舗を構え、多くの参拝客や旅人をもてなすようになります。
「江戸中期の文珠名物といえば、智恵の餅・才覚田楽・思案酒の3つ。幸田露伴など著名な文豪が味わったという記録も残っているそうです」と、勘七茶屋の幾世さん。現存するのは智恵の餅だけですが、参拝帰りに餅をほおばり、夜は才覚田楽を肴にお酒を愉しんで……そんな情景が浮かんでくるようですね。

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明治に入ると、四軒の茶屋は海岸沿いに別館としてそれぞれ宿を設け、さらに明治晩年には三階建ての立派な旅館を競って建築するまでに。門前町の風景も大きく変わり、日本を代表する観光地として一つの完成形を迎えます。
こうして足跡をたどってみれば、四軒茶屋の歴史はそのまま、文珠のまちの発展の歴史。そしてそのすべては、智恵の餅からはじまっているのです。

思わず頬が緩む、至福の柔らかさ

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地元丹後産の良質なもち米を使い、時間をかけて毎朝丹念につきあげたお餅は、きめが細かくてツヤツヤ。びっくりするほど柔らかく、それでいて弾力のある食感が絶妙なバランスを生み出しています。これはまさに、職人技。さらに保存料などを極力控え、つきたての自然な柔らかさを味わってもらうために、消費期限は翌日までと徹底しています。

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大正時代の門前町を写した写真に、4人の男性が大きな臼を囲み、長い棒の杵で餅をつく様子がありました。「千本づき」と言って、数人で回りながら交互に餅をつく、昔ながらのやり方です。
「面白いよね、ウサギの餅つきみたいで」と、彦兵衛茶屋の織田さん。当初は四軒で一緒に餅をついた後、各々の店で売っていたのではとも言われています。

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つき方こそ変わりましたが、当時も今も、餅の水加減は職人の経験と勘がものをいう大切な仕事。
「智恵の餅は、食感を残しつつ柔らかくて食べやすいのが特徴です。お餅は、その日の温度と湿度によって柔らかさが大きく変わるもの。このあたりでは、夏と冬で水温が10度以上違うこともあり、毎朝それに合わせて水加減を調整するのは一番気を遣うところですね」

小豆の皮を全量使い、風味豊かなこしあんに

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こしあんの製法にも、代々受け継がれるこだわりがありました。一般的にこしあんと言えば、小豆の外皮を使わないあんを指しますが、智恵の餅のあんには実はしっかりと皮が入っています。小豆を煮て、皮を取り除くところまでは普通のこしあんと同じ工程。しかし、そこから分離した皮を捨てずに細かくすり潰し、あく抜きを繰り返してから豆の中身と混ぜて、あんをつくるのだそうです。ちとせ茶屋では皮を石臼で挽くため「ひきあん」、彦兵衛茶屋では「つぶしあん」など、お店によって呼び方が違うのも面白いところ。

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小豆を100%余すところなく使ったこしあんは、豆本来のコクや旨みが凝縮され、甘さのあとにしっかりと風味が残ります。お餅が隠れるほどどっさりのあんにもかかわらず、後味がしつこくないのはそのため。手間のかかるやり方ですが、代々伝わるこの製法をどの茶屋も守っているそうです。皮の潰し方や細かさ、砂糖の加減などは四軒それぞれ工夫を重ねているので、食感の違いや甘さの違いをお店ごとに食べ比べるのがツウの楽しみ方。ぜひ、自分好みのあんを探してみてはいかがでしょうか。

守るために、変えるもの

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創業以来、親から子へ、またその子へと代々受け継がれてきた四軒茶屋。店の守るべき味を示し指揮をとる主人と、その味を再現する職人たちとの固い連携が、300年以上つづく伝統を支えてきました。しかし伝統を守ることは、変化しないこととイコールではないと、どの茶屋でも口を揃えて言います。

「守るべき“型”はしっかり守ることが大事。だけど、例えば甘さにおいては今の時代は控えめの方が好まれたり、あんの固さも気候によって変わる。それは、その時代その時代で工夫していくべきだと思います」と、吉野茶屋の平木さん。

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時代が変われば、使う道具も変わっていく。ましてや100年もの単位で見れば、気候や水、それに人々が求める味も変化するのはごく自然な流れです。その中で、四軒がそれぞれに自分たちの信じる味を追求し、たゆまぬ努力と工夫を重ねてきた結晶が、現在の智恵の餅。一番大切なのは、この智恵の餅を絶やさず遺していくことです。
時代の波をおおらかに乗りこなしながら、330年の時を刻む四軒茶屋と智恵の餅。「三人寄れば文殊の智恵」ならぬ「四軒寄れば文殊の智恵」で、これからも、ともに歩んでいくのです。

<制作協力>
ちとせ茶屋文殊荘 勘七茶屋彦兵衛茶屋吉野茶屋

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