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古代宮津の産土神が起源! 宮津城下最古の神域「山王宮日吉神社」

地元住人から“さんのうさん”、“ひよしさん”の愛称で親しまれている「山王宮日吉神社さんのうぐうひよしじんじゃ」。宮津湾を望む丘に鎮座するこの神社の歴史は古く、宮津祭の俗称で知られる「山王祭」や「赤ちゃん初土俵入」などの祭事は、宮津市民にとってとても縁深いもの。今回は、そんな山王宮日吉神社についてご紹介します。

山王宮日吉神社の由緒と歴史

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山王宮日吉神社は近江の日吉大社(滋賀県大津市)を勧進したとされ、古くより地元の漁師など、地域の氏子から信仰を集めている由緒正しい神社です。その歴史は古く、「杉末神社すぎのすえじんじゃ」を摂社(主祭神と関係の深い神様を祀っている)として、平安時代から続いています。
杉末神社は毎年10月に「赤ちゃん初土俵入」が行われる神社ですが、この神社は山王宮日吉神社よりも更に歴史が古く、宮津に人が住み始めた遙か昔より、人々の守り神として祀られてきた古代宮津の産土神うぶすなのかみ(誕生した家や誕生時の地域にいる守護神で生涯を通じて守ってくれる)です。
社記によると、敏達びだつ天皇元年(572)にこの地に鎮座したとされており、平安初期の延長5年(927)には、当時「官社」とされていた全国の神社一覧「延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう」に、式内社として唯一登載されていることから、現在の宮津市街地最古の神社といえます。

その杉末神社の境内に「山王の神」である大山咋神おおやまくいのかみ(山の神で比叡山を守護する神といわれている)と、大己貴神おおなむちのかみ(大国主の幼名で日本国を作った神)が勧請かんじょうされ、御祭神としてお祀りされました。
江戸時代に入ると、歴代宮津藩主は「大山咋神」と「大己貴神」が国造りの神であることから、この二柱を宮津の総氏神として藩の守護神として位置付けました。そして本殿や幣殿、神輿から石灯籠にいたるまで再建と造営をおこない、神域の中心に主神としてお祀りするとともに杉末神社を摂社とし、宮津西地区の守り神としてお祀りしました。

そのような流れの中で、宮津の城下町が形作られる以前から行われていた山王宮日吉神社の例祭である「山王祭」は「藩祭」とされ、武家や町民がこぞって参加する城下挙げての大祭となりました。現在も尚続いているこの例祭は、山王宮日吉神社が総氏神として城下町衆と共に伝統儀式を執り行ってきた証のひとつといえます。

まるっと文化財!? 見どころが多い境内

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山王宮日吉神社には、長い歴史の中で守り伝えられてきたものが多く、そのいくつかは文化財として保護されています。
本殿を中心に摂社・末社を含め8つの社がある境内では、貞享5年(1688) に宮津藩主・阿部正邦あべ まさくににより再建され、本殿が京都府指定文化財に指定されています。向拝(屋根を正面の階段上に張り出した部分)のある檜皮葺・入母屋造りの日吉造に、日吉の神様の使いでもある猿を配した三猿像の蛙股がある御扉は平成12年の大修理によって華やかさを取り戻し、現代に美しく甦りました。

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本殿を中心に左右に配置された杉末神社(右)と恵比寿神社(左)は、江戸時代後期に再建されたものです。共に彫刻の美しい神社で、平成の大修理により屋根は軒檜皮銅板葺きに改められました。本殿を含め、杉末・恵比寿神社の建築群は美しく、神々しさを感じます。また、杉末神社の横にある、船玉神社に加え、山王宮日吉神社拝殿の4棟が京都府登録文化財に指定されています。

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境内の北側に位置する「漱玉亭庭園跡」は江戸時代初期に造られたもの。初代藩主・京極高広が背後の滝上山を借景に、巨石を組み合わせ川の水を引いて滝のある庭園を作庭。その後、次代藩主・永井尚長が整備し「白虹滝はっこうのたき」と名付けました。当時は勢いよく流れ落ちる滝でしたが、現在流れはなく、巨石や庭の石組みが残っています。秋には唐紅に染まる紅葉と相まって美しい景色を見せてくれるこの庭園跡は、宮津市指定文化財の名勝となっています。

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山王宮日吉神社の境内は、隣接する如願寺の境内と合わせて全体が京都府文化財環境保護地区に指定されています。そして、神社を訪れた際に最初の石段を上がった参道にある、椎の御神木の樹齢は800年から1000年ともいわれており、江戸時代の境内絵図には今と変わらぬ姿の御神木が描かれていました。その頃綴られた宮司家日記は「椎屋日記」と名付けられていることからも、山王宮の象徴として悠久の年月を重ねてきたことが窺えます。

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また、山王宮をこよなく愛した藩主・永井尚長が名付けた含紅桜がんこうざくらは樹齢400年を超え、漱玉亭庭園跡のサザンカと共に宮津市の天然記念物に指定されています。

市民と関わり深い山王宮日吉神社の例祭

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山王祭の浮き太鼓の様子

毎年5月15日に宮津祭として親しまれている「山王祭」。江戸時代には藩祭とされ、城下上げての大祭に武家や町民が挙って参加していたといわれています。現在の祭礼は、神輿の巡幸を中心に神楽、威儀物行列、宮津市の無形民俗文化財にも指定されている漁師町の浮き太鼓で構成されています。江戸時代には山屋台や芸屋台も出されており、その様子は宮津市の有形民俗文化財(京都府の暫定登録文化財)である「山王社祭礼図絵馬」に描かれています。

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祭りで担がれる神輿は江戸時代末期に藩主・本庄宗秀によって寄進されたもの。神輿の上にのせられる大鳥には完成前年の文久3年(1863)の制作と刻まれており、屋根には本庄家の家紋である九つ目の家紋が配されています。このことからも城下あげての大祭礼であったことが窺えます。

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また、10月の体育の日に摂社・杉末神社で行われる「赤ちゃん初土俵入」は江戸時代から続く例祭です。地域を問わず遠方からも多くの人が参加するこの神事は、生後6か月から2歳までの赤ちゃんがねじり鉢巻と豪華な化粧回しを付け、土俵の上で神様とすもうを取るという珍しい神事。

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ご祈祷を受けたあと、行司に抱かれた赤ちゃんが社殿に向かって「ヨイショ!ヨイショ!」と四股を踏み、見えない神様とすもうをとります。神様を土俵際に押し出そうしますが、強い神様に負けてしまい尻餅をついて泣いてしまう赤ちゃんも。しかし、神様と相撲を取り神聖な土俵の砂をお尻に付けることで健康を授かるという微笑ましい神事。奮闘する赤ちゃんの可愛い姿に、見守る人たちは思わず笑顔がこぼれる微笑ましい神事です。

「赤ちゃん初土俵入」について詳しくは下記をチェックください▼

古くから宮津の地と縁深い山王宮日吉神社、意外と知らないこともあったのではないでしょうか。 改めて「山王宮日吉神社」を知ることで、宮津の歴史についても思いを巡らせてみてください。

<データ> 
山王宮日吉神社
京都府宮津市宮町1408番地
自由参拝
TEL:0772-22-3356
ホームページ https://www.sannougu.jp/



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