まるで桃源郷……里山の原風景が今なお残る宮津の「世屋地区」
宮津市に、まるで桃源郷のような美しい里山があるのをご存知でしょうか。山深い世屋(せや)地区では、自然と人が調和した暮らしが今も営まれています。誰もがどこか懐かしいと感じるような、日本の原風景が広がる世屋地区の魅力と人々の営みをご紹介します。
山林と高原が広がる世屋地区とは?
宮津市の中心部から北へ25kmほど。海辺から2〜3km山手に進むと、世屋地区に入ります。世屋は“丹後半島の屋根”と言われる汐霧山や嶽山、高山や鼓ヶ岳といった標高600mを超える山々と、その山麓に広がる世屋高原一帯の集落からなるエリア。集落は、地区の中で最も規模の大きい下世屋(しもせや)、急斜面に民家が建つ松尾(まつお)、茅葺屋根の家々が点在する上世屋(かみせや)、手漉き和紙の里として知られた畑(はた)、都市からのIターンが盛んな木子(きご)の5つです。
世屋の人々が暮らすのは、面積のほとんどを占める山林以外のわずかに開けた土地。米や野菜を育てる農業などが主産業です。
美しき日本の原風景と四季に寄り添った暮らし
2〜3mもの雪が積もる長い冬を越して木々や野草が芽吹く春が訪れると、あたりは花々に包まれます。夏には傾斜地に広がる棚田の緑が目に眩しく、蝉の声が響く中、里の人たちの農作業が続きます。そして実りの秋には山々が美しく紅葉し、棚田は黄金色に。
そんな、今では大変貴重になってしまった日本の里山の原風景が、世屋にはそこに住む人たちの日常として存在しています。秘境と呼ぶにふさわしい山深い場所で、四季折々の雄大な景色とともに大自然と共生する暮らしが、今なお営まれているのです。
郷愁をより掻き立てるのが、茅葺き屋根の家々。特に上世屋は“茅葺きの里”と呼ばれ多くの茅葺き民家が残っており、「にほんの里100選」にも選ばれている長閑な風景に出会うことができます。
原始的な屋根の形態である茅葺きは、ススキやヨシ、藁といった身近な自然素材を用いていながら、雨水を上手く逃す構造から耐水性が高く、耐久性にも優れており一度葺き替えれば数十年は持つと言われます。まさに里山で暮らす人々の知恵が詰まった家屋の形ですね。
しかし、茅葺き屋根を維持するためには手入れや葺き替えが不可欠。人手が必要な大変な作業なので、昔からそれぞれの家の痛み具合を見て村で相談し、地域の人々が協力し合って順次修繕などを行ってきました。ところが現在では過疎化と高齢化により、茅の確保や技術の継承が難しく、そうした作業ができない状況に。茅の上に鉄板を葺いた家も増え、昔ながらの景観は少しずつ姿を変えようとしています。
注目したい里山の美しい風景は他にも。例えば、春になると松尾地区に広がる棚田の真ん中に見事な桜が咲き誇ります。“松尾の一本桜”と呼ばれ愛されるこの樹は、地元の方が大切に育ててきたもの。風に乗った花びらが棚田へと舞い、山々越しに海が見える景色は、ため息の出るような絶景。幻想的な世界に、やはりここは桃源郷かと錯覚してしまいそうです。
里山には他にも季節ごとに花が咲き乱れるほか、米の収穫の前には稲木が建てられたり、冬前には積雪に備えて雪囲いが組まれたりと、季節が移ろうごとに人々の営みと自然が織りなす景色も移り変わります。その様からは、自然と切り離されて過ごす都会での暮らしでは失われている尊さや美しさが感じられ、心が深呼吸するような感覚を味わうことができます。
伝統的な地場産業も…里山ならではのライフスタイル
世屋では農業のほか、様々な手仕事が伝承されてきました。代表的なものの一つが、和紙作りです。和紙の製造が盛んだったのは畑地区。400年ほど前、天正年間に四国からのお遍路さんによって伝わったと言われています。原料となる樹木や清らかな水に恵まれた環境が和紙作りに適していたことから定着し、1970年代後半まで盛んに行われました。高齢化により製造中止となってしまった後もこの文化の灯を消すまいと、宮津市と伝承者の協力により、毎年和紙すき体験などが行われています。
また、藤の蔓の繊維を使った織物である藤織りも、宮津の貴重な伝統文化の一つ。京都府無形民俗文化財にも指定されています。主に女性たちの仕事だった藤織りは、長時間の細かい手作業や真冬の川に浸かって行う作業など過酷な工程が多く厳しい手仕事でした。苦労の末に作り出される素朴で力強い布は、全盛期には京都市などから織物問屋が買い取りにやってきて、高値で取引されたといいます。その後こちらも後継者がいなくなり、生業としてはすでに途絶えてしまいましたが、丹後藤織り保存会によって継承され、その魅力が発信されています。
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これらの手仕事は、世屋が深い雪に閉ざされてしまう冬の間の貴重な収入源でした。大自然の恩恵を受けながら、同時に厳しくもある山深い環境の中で、里の人たちが山々と上手く共生しながら暮らしてきたことがわかりますね。
今では、世屋の魅力に惚れ込んだ若者などが移住する例も。
大自然の中で獣を敬いつつ巧みに駆け引きを行い、その肉を得るジビエ猟をする人。和紙の原料となる楮(こうぞ)や「ねり」に必要なトロロアオイを栽培したりと材料を自ら育て、世屋の自然の恵みを受けながら紙を漉いて和紙を作る人。工房を立ち上げ研究を重ねながらクラフトビールを醸造し、ゆくゆくは材料のホップや大麦も世屋で栽培できるようにと日夜奮闘している人……。
農業、狩猟、受け継がれてきた手仕事といった昔からある仕事に、会社勤めや創作活動などを組み合わせて複数の生業を持つライフスタイルも浸透しつつあり、世屋での自由な生き方・暮らし方の可能性はどんどん広がっています。
形を少しずつ変えながらも、自然と調和した生活と昔ながらの風景を今に残し続ける世屋地区。静かな人々の日常を邪魔してしまわないようそっと訪れて、ノスタルジアと癒しを感じてみてはいかがでしょうか。
〈データ〉
上世屋HP「小さく生きてきた」
「丹後のおへそ、世屋村。」Facebook
https://www.facebook.com/seyamura