【天橋立#12】天橋立が誇る「白砂青松」を守るための戦い
日本三景のひとつ「天橋立」の魅力を連載記事で紐解きます。第12回のテーマ「白砂青松」です。
この「白砂青松」とは、白い砂浜に青々とした松原のことを言い、約6700本のクロマツの松並木が約3.6㎞に渡って続く天橋立の代名詞となっています。
松並木の隙間から白い砂浜と青い海が見える理想的な風景ですが、現在、人間の生活スタイルの変化に伴って景観が変化しつつあるのをご存知ですか?
昔から地域住民たちが守ってきた天橋立
1000年に渡り奇跡の絶景として愛されてきた天橋立の「白砂青松」ですが、江戸時代までの管理主体は文珠エリアにある「智恩寺」でした。明治以降は、国や京都府が主体となり、地元住民と協同で整備・保全が進められてきました。
かつて近隣住民は天橋立から枝や葉を集め風呂や炊事の燃料として使っていました。これが松の保全にもつながっていたのです。しかし、ガスや電気のインフラが整ったことで、松にとって環境が悪くなります。そんな天橋立の景観を守るために発足したのが、初の民間ボランティア団体「天橋立を守る会」。昭和40年(1965)のことでした。
主な活動は天橋立の公園清掃や、周辺の小中学生に向けた環境学習などです。今も年間3000人を超えるボランティアが清掃活動に参加しており、天橋立が地域住民に愛されていることを物語っています。
松林の保存意識が一気に高まるきかっけとなった出来事が宮津市を襲った台風です。平成16年(2004)の台風23号では約200本の松が倒れ、地元住民に大きなショックを与えました。
その悲惨な状況を目の当たりにした住民たちは一丸となり、復興に向けさまざまな取り組みを行いました。
上の写真は松林の中に13本ある命名松のひとつ「双龍の松」。台風23号の被害を記憶にとどめるため、倒壊した姿をそのまま保存しています。
命名松のひとつ「船越の松」は高さ120m。鉄柱で支え補強されています。
ちなみに、本来なら不老長寿のイメージをもつ松ですが、天橋立は海抜が低く、浅いところに地下水があり深くまで根を張れないので、台風ほどの強い風が吹くと倒れやすいのだそうです。
上の写真は天橋立松並木内で松の苗木が植えられている様子です。
こちらは広葉樹の伐採で木の密度が低くなる場所に松の苗木を植えて、次世代の松並木を担う松の育成を行っています。このように、行政や住民の手でさまざまな松の保全活動が行われています。
白砂青松がピンチ!!進撃の広葉樹林
実は現在、天橋立の松林には大きな問題が起こっています。
そもそも松はやせ地・陽光を好む植物です。しかし現状、天橋立の土壌は落ちた葉や枝などにより腐植土になり栄養過多の状態のため、松以外の植物が繁殖しているのです…!
松並木を歩いたことのある方はお気づきかもしれませんね。
特に広葉樹が多く植生し、日光を遮ってしまい松の成長を妨げており、松林から広葉樹林に変化しつつあるのです。これは、日本を代表する景観地・天橋立の「白砂青松」にとって大ピンチ!!
特に前回ご紹介した、世界遺産登録を目指している状況の中で「白砂青松」の景観が崩れること、これはあってはならない非常事態なんです。
松林を美しい「白砂青松」の光景に戻すために、平成18年(2006)から新たな森林保全活動が始まりました。市民ボランティアや住民の手により、松葉拾いや草取りが積極的に行われています。
さらに、天橋立を管理している京都府丹後土木事務所は、平成31年(2019)に約100本の広葉樹を伐採しました。そこから5年間で400本伐採する計画を立てています。
そして、このような保全対策のほかに、松枯れ対策や枯死松の伐採、植樹など松林の保護や管理、砂州の保全や、公園の利用管理など、これらが持続可能な取り組みとして今後も続いていくことが大切です。
天橋立の絶景は、人との共生あってこその景観です。この奇跡の景観を次世代に繋いでいくためにも、みんなで保全活動に参加し、近い将来。世界遺産に登録となれば素晴らしいことですね。
そして、そのためには天橋立が持つ歴史的・文化的な側面への理解も必要です。当サイトでも発信しているので是非ともご一読くださいね。次回の記事もお楽しみに。