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祇園祭の名脇役は宮津の特産品だった!~魔除けの花・ヒオウギ~

みなさん「ヒオウギ」という植物をご存じですか?名前は聞いたことがある、という人もいるかもしれません。日本三大祭りのひとつ、京都市の祇園祭とも深い関係がある植物で、宮津市の特産品なのです!! 今回はヒオウギをご紹介するとともに、ヒオウギを生産する農家さんにもお話を伺いました。

ヒオウギってどんな植物?

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ヒオウギはアヤメ科の多年草植物で、漢字で書くと、檜扇、日扇などで表現されます。漢字にも表れているように、大きな葉が重なり合い、扇を広げたように見えることからこの名前が付きました。また、山野の草地や海岸などで自生するほか、ガーデニングや生け花にも用いられ、古くから日本で愛されてきた植物です。

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ヒオウギの種子は丸く、真っ黒でツヤがあるのが特徴。「ぬばたま」とも呼ばれ、万葉集では黒や夜、夕などの枕詞として使われています。
例えば、万葉集 巻6 925番歌(作者・山部赤人)では次のような歌があります。

ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
(夜が更けるにつれて、久木が生える清らかな河原で千鳥がしきりに鳴いているよ)

この歌では、夜=漆黒のぬばたまのように暗い、という意味で使われています。電気もなかった時代の夜は特に漆黒の闇だったことでしょう。

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写真提供:亀屋良長(京都市)

また、和菓子屋さんで販売されている「烏羽玉(うばたま)」は、このぬばたまをイメージして作られたのだそう。写真は京都市にある老舗和菓子店「亀屋良長」の「烏羽玉」。こちらのお店では、烏羽玉は1803年創業以来作り続けている代表銘菓です。
一見、関連性のなさそうなお菓子と花に、こういったつながりがあるのは意外ですね。

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写真は同地区の農家・八友さんの畑

宮津市でこのヒオウギの生産が始まったのは、今から約40年近く前のこと。
1984年に日置地区で栽培されたのが始まりとされています。現在、宮津市内では6軒の農家さんがヒオウギを生産していますが、実は京都府内唯一の産地なのだとか!ヒオウギは徳島県などでも生産されていますが、全国的な生産数は少なく、宮津市は貴重な産地となっています。

祇園祭には欠かせないヒオウギ

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このヒオウギですが、日本三大祭としても知られる京都市の「祇園祭」と、非常に縁が深い植物なんです。
祇園祭は、今から1100年以上前の貞観11(869)年、全国で流行した疫病を鎮めるために鉾を立て、祇園の神を迎えて厄災除去の祈願をしたことに由来しています。
祇園祭の規模は徐々に大きくなり、室町時代には現在のような山鉾が登場していました。祇園祭のクライマックスともいえる山鉾巡行は、前祭(さきまつり)が7月17日に、後祭(あとまつり)が7月24日に行われます。この山鉾巡行だけが祇園祭と思われがちですが、実は7月1日~31日までの1か月間あり、日本一期間が長く、神事が多い祭りとも言われています。

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『古語拾遺』(平安時代の歴史書)の中には、厄災が村を襲った際に、ヒノキでできた扇「檜扇」で扇ぐととたちまち村が元通りになったという話が残っています。その檜扇と似ていることから同じ名前で呼ばれるようになったヒオウギは病気にかかりにくく、葉も長持ちするため、縁起物・魔除けの花として重宝されてきました。
古来よりヒオウギは、疫病退散を祈願する祇園祭の期間中、京町家で行われている屏風祭(山鉾町にある旧家や老舗の京町家が代々伝わる屏風や美術品を展示)の会場や、民家の軒先や床の間などに飾られます。祇園祭には欠かせない植物として、古くから重宝されている花なんです。

ヒオウギのメインは大きな葉!

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今回は、そんなヒオウギを生産する宮津市の農家さんにお話を伺いました。
日置地区でヒオウギ農家を営む吉田進さんは、毎年ヒオウギを京都市内へ出荷しています。

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吉田さんが栽培するヒオウギは、赤く黄色の斑点がある花を付ける「真竜(しんりゅう)」と、黄色の花をつける「黄竜(おうりゅう)」の2品種。出荷時は写真のような状態で、50~70㎝の大きさ、花はつぼみの状態。花は収穫したのちにも咲きますが、1日しか咲かないのだそうです。それゆえ、あくまでもメインは「葉」なんです。この葉の部分が大きくて長く、“反り”があるものが良質なものとされています。

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八友さんの畑

6月下旬~7月下旬に旬を迎えるヒオウギは、例年通り1万本ほどの出荷を見込めるのだそう。
この機会にヒオウギという花について知っていただき、見かけた時はぜひ、疫病退散を祈願しながらおうちに飾ってみてくださいね。

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