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宮津市で見かける不思議な“珍百景”!その正体は○○だった!

日本三景・天橋立で知られる宮津市ですが、実は「珍百景」ともいえるユニークな光景を見たことがある人も多いはず!今回は、市内に点在する不思議な建造物や「なぜここにこんなものが!?」というモノの正体を探ってみました。

ヨット橋ができた理由は国体だった!?

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宮津湾に流れる大手川の河口に架かる、ヨットのような見た目の「湊橋」。1990年に完成したこちらの橋は、全長46.7m、幅3~4m。中央に立てられた高さ30mの主塔から9本のワイヤーで橋全体が支えられ、遠くから眺めると、まるで宮津湾に向けて出航するヨットのように見えます。

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船の甲板を思わせる木床板舗装や船室に見立てた中央分離帯など、細部にまでこだわりを感じられます。

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湊橋完成を知らせる『広報みやづ』(1990年4月号)

では、どうして湊橋はヨットをモチーフにしたのでしょうか。実は、橋が完成する2年前の1988年に開かれた「第43回国民体育大会(京都国体)」に理由があります。この京都国体で宮津市では、卓球や軟式野球とともに府立ヨットハーバーでヨット競技が開催。それを記念し、「ヨットの街」としての宮津をイメージしたヨット型の橋が完成したそうです。

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またこのヨット橋は、栗田半島天橋立自転車道(マリンピアを基点に田井~大垣まで宮津湾・阿蘇海の海岸に沿った全長約22kmの自転車道)の一部となっており、竣工時には自転車道のシンボルとして宮津の新名所になることが期待されていたとのこと。サイクリングでお出かけの時には、一度遠くから眺めてみてはいかがでしょうか。

<データ>
ヨット橋(湊橋)
場所:宮津市鶴賀
立入自由

島崎公園内の巨大モニュメントの正体は?

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宮津市民憩いの島崎公園。近くにショッピングセンター「ミップル」もあって、週末ともなれば多くの家族連れなどで賑わいます。この公園内で一際目を引くのが、青と赤、ふたつの輪が重なるように配置されたモニュメントです。「いったいこれ何?」と気にされた方も多いのではないでしょうか。

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近くに寄ってみるとかわいいツバメが!まるで本物のように見えますよね。

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実は、こちらは1994年6月1日に市制施行40周年を記念して設置された、「海燕(かいえん)」とう名のモニュメントです。このモニュメントと円形の広場は、「歩ら輪ぐルート ぶらり歴史のみち」の拠点として、また天橋立を一望できる市民の憩いの場として整備されました。

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どちらも直径5m以上あるふたつの輪は「宇宙」や「人の輪」を、輪に集まる小さな燕は四季の豊かさと市民の幸福を表現。輪の青は宮津の澄み切った青い空と海を、赤は市民の情熱と市の未来への発展を表しています。モニュメントのタイトル「海燕」は、「海園都市みやづ」のもつ言葉の響きとも合わせてつけられたものなのだとか。

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モニュメントの前に置かれた小さな椅子は、かつて宮津市内の小学校で実際に使われていた木製の椅子をブロンズでかたどりしたもの。ここに座って記念写真を撮ることで、その情景がいつまでも心に残るようにとの願いが込められています。もし島崎公園を訪れる機会がありましたら、この椅子に座って記念写真を撮ってみてはいかがでしょうか。

<データ>
宮津市シンボルモニュメント「海燕」 作者:粟津潔
場所:宮津市島崎
立入自由

宮津市に「オペラハウス」があるってホント?

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オーストラリア・シドニーの世界遺産「オペラハウス」といえば、帆船の帆や貝殻を重ねたような造形が特徴的ですよね。実は、宮津市にもこれとそっくりな建物があるって知ってました?

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こちらが宮津市のランドマーク「みやづ歴史の館」。海側から見るとオペラハウスのように見えますよね!この建物は江戸時代中期から明治にかけて日本海航路で活躍した北前船の帆をイメージしたのだとか。北前船は「動く総合商社」ともいわれ、各地で品物を仕入れ、また別の場所で高く売る商売をしながら大阪と北海道を往復。宮津市は北前船の寄港地だったため、港の周辺は様々な品物が流通して栄えました。

ちなみにこの「みやづ歴史の館」も文化ホール、中央公民館、情報コーナー、体験学習室などが備わり、オペラハウス同様にコンサートや演劇などに使われています。宮津の豊かな文化に欠かせない存在ですね。

<データ>
みやづ歴史の館
場所:宮津市鶴賀2164
TEL:0772-20-3390

どうしてそんなおめかししているの?宮津市内に点在する化粧地蔵

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宮津市内のあちらこちらで見かけるお地蔵さま。一般的には石像のイメージがありますが、宮津をはじめ丹後・若狭地方では「化粧地蔵」と呼ばれる極彩色のお地蔵さまに出会うことがしばしば。地蔵盆を境に化粧直しが行われ、毎年異なる表情を見せてくれます。詳しくは、こちらの記事で確かめてみてくださいね。

辛皮方面の山中にある魔除けの「ホウキ」とは?

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丹鉄辛皮(からかわ)駅へと向かう山道を走行中、気になる看板を発見!どうやらその昔、宮津と大江を結んでいた「元普甲道」のルートを示す案内板で、よく見ると弁財天の近くに「ホウキ」と呼ばれる不思議なカタチの魔除けがあるようです。「ホウキ」って、あのほうきのこと??気になる編集部メンバーが、早速調査してみました。

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まずは、案内板で示された場所へ行ってみると、あれ?「ホウキ」らしきものが見当たりません…。付近も探してみると、写真のような“人の手が加わったらしき木の束”を見つけました。先端には何かをくくりつけていたかのような跡が…。これがあの「ホウキ」?

まちなかに戻って、地域の方に「ホウキ」のことを確認してみたのですが、ご存じの方は誰もいません。そこで、丹後の歴史や風俗に詳しい京都府立丹後資料館の学芸員さんに尋ねてみました。
辛皮の隣の寺屋敷では、毎年2月3日に法光寺(小田集落)で祈祷されたお札を割り竹にはさみ、その先端に藁の束を折り返してつくった「ホウキ」と呼ぶ作り物をつけ、村境に立てる風習があったそうです。道の拡幅などによって従来の場所と異なる場所に置かれるようになりましたが、普甲峠の地蔵と辛皮の隣の桜地蔵の2ヶ所に、悪病が侵入しないように掲げられていたとのこと。

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京都府立丹後郷土料理特別陳列「村境の作り物-丹後の道切り行事-」図録より
「ホウキ」に関する記述(1996)

その後調査を進めるなかで、地元の長老から貴重なお話を伺いました。かつて「ホウキ」は確かに置かれていましたが、現在この風習そのものを知る人がいなくなったことやお札をいただいていた法光寺が廃寺となったため、途絶えてしまったとのこと。今年の夏まで道に掲げていた「ホウキ」もボロボロになってしまったので、修復のために片付けたそうです。

宮津湾にいつも浮かぶあの船の正体は!?

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波穏やかな宮津湾に停泊する大きな船。「あの船はなぜ動かないの?」と不思議に思ったことはありませんか。

実はこの大型船は、市内に工場を構える日本冶金工業株式会社大江山製造所の鉱石専用船なんです。自動車の部品などに使われる特殊鋼に欠かせないフェロニッケル(鉄+ニッケル)の原料となる鉱石で、海外から運ばれたものを積んでいるとのこと。ここからグループ会社である、宮津海陸運輸株式会社が「はしけ」で須津にある製造所へと運んでいます。

廻旋橋が回る様子はこちらで確認してください

ちなみに、宮津湾沖から須津へと向かうために、文殊堂の近くにある廻旋橋を通過します。廻旋橋は船が通る度に90度旋回することから今では観光名所にもなっていますが、こうした船が宮津湾と阿蘇海を通過するために造られた橋だったんです。実際、鉱石を積んだ「はしけ」が通る回数は観光船が通る回数より多く、観光客の迷惑にならないようにしているそうです。

ということで、宮津湾に浮かぶあの大型船の正体は「鉱石を運ぶ船」。観光名所の廻旋橋も、船が通過するために造られたことがわかりました。それまではただ面白いなと眺めていただけの廻旋橋も、見方も変わるかもしれませんね。

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